不良債権処理の難しさ 2008 7 26

 バブル崩壊後における不良債権処理の難しさは、
下記の2つの文章に書きました。
 バブル崩壊後に起きた「不景気の進行」によって、
正常債権が要注意債権へ、要注意債権が不良債権へと、
底なし沼のように転落して行ったのです。
 同時に、不良債権処理の過程で、
「貸し渋り、貸しはがし」が起き、それが不景気を進行させ、
やはり、正常債権が要注意債権へ、要注意債権が不良債権へと、
次から次へと、新たに不良債権が発生していったのです。
 不動産バブルと証券化バブルが崩壊したアメリカでは、
どう対応していくのか。
 やっかいなことに、かつての日本と違って、
アメリカの場合、証券化という金融技術によって、問題の全体像がわかりにくくなっています。
 アメリカの金融危機は、急性期から慢性期へと移行したと考えていますが、
慢性期の治療は、難しく、長期戦となるのです。

不良債権処理 2008 3 1
 最近は、アメリカで、日本のバブル崩壊後について、
つまり「失われた10年」についての議論が盛んなようです。
「自分たちも、そうなるのではないか」という不安があるのでしょう。
 今でも、よく言われることは、
「日本は、不良債権処理が遅れた。もたもたしていた。
それから、不良債権の額が小出しで、後になってから次から次へと出てきた。
要するに、損失確定をためらっていただけだ」と。
 しかし、ここで少し言い訳をさせてほしいのです。
バブル崩壊後、ノンバンクの後始末は、そんなに遅れることなく、
比較的、早く処理できたのです。
では、どうして、「失われた10年」になってしまったのか?
 それは、バブル崩壊後、不景気とデフレの進行で、
正常債権が、次々と、不良債権になっていったのです。
正確に言えば、正常債権が要注意債権へ、その要注意債権が不良債権へと、
ずるずると、底なし沼のように転落して行ったのです。
 要するに、ノンバンクの破綻は、単なる入り口に過ぎなかったのです。
つまり、ノンバンクの破綻は、単に導火線に過ぎなかったと言えるでしょう。

不良債権処理 bad-debt disposal 2004 12 24
 不良債権処理は、現在、最終段階にあると言われます。
しかし、この不良債権処理の手順に、誤りがあったために、
国民生活に重大な影響が及んだと言えるでしょう。
 大口の不良債権である、
「ゼネコン、流通、不動産」の不良債権処理を後回しにした結果、どうなったのか。
 結局、不良債権処理の加速は、中小企業に向かうことになったのです。
そして、中小企業に対する不良債権処理の加速どころか、
中小企業に対する「貸し渋り、貸しはがし」まで起きてしまいました。
これが、日本経済を萎縮させたのです。
 「ゼネコン、流通、不動産」の不良債権処理は、
国民生活に重大な影響が出ると称して、
こうしたものを後回しにした結果、
中小企業に対して厳しい不良債権処理となり、
これが、結果的に、国民生活に重大な影響が及ぶことになったのです。
 日本企業というと、大企業を連想するでしょうが、
実は、日本企業の大部分は、中小企業です。
大企業は、日本企業の数パーセントしかありません。
こうした不幸な結果は、「政府の失敗」と言えるでしょう。
 原則は、大口の不良債権である「ゼネコン、流通、不動産」の
不良債権処理を先行させるべきだったのです。




















































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